―Gardenia jasminoides―


「月がキレイだから、ちょっと遠回りして帰らない?」

そんな気まぐれも、たまにだから許す気になる。
しかも極上の笑顔付きだし。
いつもは完全にフォローに徹し俺を立ててくれている清寿の、
こんなささやかなわがままくらいは聞いてやろう。

本日の激務を終えての帰り道、法務省の敷地を出た辺りで並んで歩いていた
清寿がすっ、と1歩俺の前に出て、振り返り際にそう云った。
艶のある、しなやかな髪が大きく揺れて、いい香りがふわりと俺の鼻をくすぐる。
この甘くて芳しいけれど控えめな香りは清寿の匂い。。。
俺はこれに弱い。
身体の奥に熱いモノが点るのを感じながらもそれを抑えて、少し困ったような表情
を作って、溜息まじりの笑みを返す。
自分としては精一杯の"しょうがないなぁ"という表情だったのに、清寿から見れば
"了承"の表情だったようで、目を細めてふわっと笑い返してきた。
男にしておくには勿体無いほどの美しい笑顔。
ぼんやり見惚れていたら左肘を掴むように清寿の指が絡められ、腕を引かれるよう
に歩き出す。
そして通勤路から逸れて、緑地帯に入る。

本当に月が綺麗な夜だった。
風が強く吹いていて、そのおかげで夜空には雲ひとつ無い。
満月に近い、淡い黄色の月が大きく見えて、夜なのに木々の間から木漏れ日みたい
に光が降ってきていた。
湿度が低く爽やかで、上着なんか要らないくらいの気温。
普段は月なんか見る習慣も余裕も無い。
仕事もあんなだし、自分のうちに帰れば賑やかだし。
コイツのこういう所はスゴいな、と思うのと同時に、
眠れずに1人でベッドに膝を抱えて座り、大きな窓から夜空を見上げている姿を想って
切なくなった。

なんとなく足元がふわふわして落ち着かないのは、いつもと逆に清寿が俺の前を歩いて
いるからだろうか?
それともこのシチュエーションのせいだろうか?
肘に触れている清寿の手を、俺の身体との間に挟むように、左脇に力を入れてみた。
くるん、と目を丸くして振り返った清寿が、にっこりと微笑む。
歩を緩めたその身体を引き寄せて、くちづけた。
「ダメ、笑太君。外だから」
監視カメラの前ではあんなに大胆なのに外では慎重になるのが可笑しくて、思わず
笑ってしまった。
つられて清寿も声を出して笑う。
平和すぎて落ち着かないのか。。。?
突然湧き上がってきたそんな考えに鳥肌が立った。
身体に滲み付いた血のニオイが立ち上ってきた気がして身震いする。
その時そんな幻覚を打ち消すように、強い芳香が漂ってきた。
「あ、この花まだ咲いてるんだね」
清寿が花壇に咲く白い花に近付き、足を止めた。
「この花。。。なんていう名前だったっけ?あれ?ド忘れしちゃった」
照れたような笑いを浮かべながら振り返った清寿に、
「くちなし、だろ?」
と答える。
「あーそうそう!こういうの興味無さそうなのに、よく知ってたね〜!」
感心したように云う清寿に、苦笑いを返す。
それにはちょっと深い事情があって。。。
実は先日タマと香りの事で一揉めあったから嫌でも覚えていただけで。。。
でもここでその顛末を説明するのも面倒臭くて、あえて何の言い訳もせず黙り込む。
そんな俺を可笑しそうに見ていたが清寿は何も云わず、俺の腕を引いて歩き出し、
やがて見慣れた街路に戻った。
「じゃあね、笑太君。また明日」
俺の肘からすり抜けて、数歩離れた所で清寿が手を振った。
気が付けば、うちの近くの交差点に着いていた。
清寿のうちはこの先にある。
「おう、お疲れ。じゃあな」
片手を上げて答えると、清寿に背を向けて歩き出した。
ここで別れてからは絶対に振り返らないで!と約束させられているので、気になっても
振り返ることも出来ずに前を向いて歩き、真直ぐにうちへと帰る。


「笑ちゃん、おかえり〜!」
タマは満面の笑みで俺を迎え入れた。
ダイニングテーブルの上には夕食の準備が出来ているようだった。
「ただいま。着替えてきます」
私室に入って一息つくといつも、別れ際の清寿の姿を思い出す。
頚を少しだけ傾げ、寂しげな微笑みを浮かべて手を振る姿を。
「ねぇ笑ちゃん、今日寄り道してきた?」
「なんでですか?」
くん!と、俺に近付いてきたタマが鼻を鳴らしてニオイを嗅ぐ。
「また"あの香り"がするもん」
「またその話ですか?いい加減にしてください」
動揺を、不機嫌で押し隠す。
「今日も緑地帯を通って帰ってきただけです」
ぶっきらぼうに答えた俺に、タマが口を尖らせて抗議する。
「なんで〜?なんでそれでいつも笑ちゃんが怒るのかが分からないよ」

そう先日も、これでケンカになったんだった。。。

あの日もタマより俺の方が遅く帰ってきた日で、
テーブルの上には夕食が出来ていた。
「ねぇ笑ちゃん、今日誰かと一緒に帰ってきたでしょ?」
着替えて食卓についた俺に向かって、タマが唐突に訊いてきた。
「え?あ。。。職場の同僚とですが。なんでですか?」
「ふ〜ん。それって"いつもの"同僚さん?」
猫みたいにくりくりした、探るような視線が痛い。
「ええ。そうですが」
テーブルに両肘をつきその上に顎を乗せてこっちを凝視していたタマが、その答えを聞いて
ちょっと意地悪な顔をした。
「笑ちゃんの身体からお花みたいな"いい香り"がする」
ふふふ、と目を細めて笑いながら、俺の反応を見ている。
「時々"お泊まり"してきた次の日と同じ香りがするよ」
前髪と眼鏡で表情が隠れているのが有難い、と、つくづく思った。
「昨日はうちに居たじゃないですか」
「だ・か・ら!今日一緒に居たんだな、と思って。ホントに同僚さんなんだね」
目を瞑って、タマは鼻を上に向けてひくひく動かした。
「ほんのちょっと甘いような優しい香りだよね」
そして視線を俺に戻し、再び探るように見詰めてきた。
「ね、その人、どんな人?」
この会話、前にもしたな。。。と、苦笑が漏れる。
少し前、俺の外泊に気付いていたタマに問い詰められた事があって。。。
タマは清寿の事を"カノジョ"だと勘違いしている。
だから「紹介してよ〜!」と詰め寄られたけれど。。。
会わせてもいいけれど、どういうリアクションをとるか全く想像出来ない。
清寿に到っては余裕の笑みで「笑太君ちに遊びに行く」とでも云い出しかねないから、
わざと話していない。
色々と面倒臭くて、うんざりする。。。
「今日は帰りに緑地帯を通ったんです。そこにニオイの強い花が咲いてたんで、そのニオイ
が移ったんじゃないですか?」
本当はその道を清寿と一緒に帰ってきたんだけど。
「それってどんな花?」
「白くて、甘ったるい香りがする花です」
「"くちなし"の花のこと?」
この時その花の名前を初めて知った。
「そんなニオイじゃないよ〜!こう見えても敏腕警視の俺をバカにしてるの〜!?」
等と怒っているタマを無視して黙々と食事を食べて早々に部屋に籠もり、その日は会話を
強制的に終わらせてみた。

「ねぇ、そんなコワイ顔しないでよ」
懇願するようなタマの声で、我に返る。
「あ。。。すみません」
「もう"カノジョ"の事は聞かないから。。。」
しゅん、とタマが萎れて云う。
「でもそのうちちゃんと紹介してね。笑ちゃんと俺の仲なんだから」
確かに職場では敏腕らしいけど、今はその片鱗も無い。
ふ〜っ、と太い息が漏れ、失笑してしまう。
「はいはい。そのうちに」
ぱっ!と顔を上げ、タマがにこにこっと笑ってみせた。
「じゃ、ごはん食べよ♪ちょっと冷めちゃったかなぁ?」
今度清寿をうちに遊びに来ないか誘ってみようか?
その時のタマの顔が見たいような気もしてきた。
記憶の奥に残っていた甘い香りと清寿の別れ際の笑顔が、俺をそんな気分にさせたのかも
しれない。。。


                  ―The end―






P.S.
タイトルはくちなし(梔子)の学名から。
“ジャスミンのように香る”という意味が込められているようです。
意味も綺麗だし、読んだ時の音も素敵で一目(?)惚れ(^-^*
そんなワケで今回は“香り”に拘って書いてみました。
ながつき清惠嬢の『花びら』とも一部LINKしてます。
タマと笑太の会話は書いてて楽しいんですが、
どうしても幼馴染み以上にはなりませんね〜(汗


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