Mission1 ―Beyond all Things―


#1

「あれ?髪、伸びてね?」 
目の前に垂れてきた艶やかな髪の一筋を掴んで、軽く引っ張ってみた。
「エクステだよ。似合う?」
てへ。
笑いながら清寿は答えた。
ふわり。
嗅ぎ慣れた清寿の香りがした。
「これ、人毛?」
人工物にしてはしなやかすぎる手触り。
「そう」
清寿は短く答えたあと、こう付け加えた。
「だってホラ、僕達には"死者の呪い"がかけられてるから、もうこれ以上は呪われなさそうじゃない?」
そんな風に語尾上がりに可愛く言われても笑えない冗談だ。
悪趣味すぎる。
「そんなことより笑太君」
俺の顔色なんて気にしないかのように、マイペースな口調で聞いてきた。
「昨夜(ゆうべ)はここに泊まったの?」
。。。ああ!そうだった。
なんで清寿が、しかも制服着て、こんな所に居るんだろー?
じゃなくて!
俺が特刑本部の隊員待機室に泊まったんだった。
「諜報課に付き合ってたら遅くなっちゃって。。。」
ぐしゃぐしゃと前髪を掻き上げる。
連絡しなかったから、多分タマが心配してるだろうな。。。
もっともヤツが家に帰ることが出来ていたなら、の話だけど。
「これ?」
俺が横になっているソファの前にあるテーブルの上を指して、清寿が聞いてきた。
「そう。今日のターゲットの資料」
ふーん。。。
清寿はそこに散乱する捜査資料を一枚一枚拾い、ページ番号通りに几帳面に束ね
直してから
胸の前に抱え、ソファとテーブルの間の床にぺたん、と腰を下ろして見始めた。
まだ頭も身体も覚醒しきれずソファに横たわったままの、俺の顔の近くに清寿の整った
横顔があった。
グローブをはめていない、器用そうな細い指がページを繰ってゆく。
――― 今更だけど、綺麗すぎる顔だよな。。。
しばらく見惚れていてハッとして、寝たまま頭を左右に振ったらクラクラした。
「。。。?笑太君何してるの?」
清寿はほんの一瞬だけこちらを見てフッと微笑み、すぐに真面目な顔に戻って資料に
視線を落とした。
あはは。。。
これはもう笑って誤魔化すしかない。
「そういや。。。」
ふと、気になった。
「何?」
清寿は資料から目も離さずに答えた。
「なんで俺がここに居るって分かった?」
「あー。。。それはね」
清寿は真っ直ぐ俺の顔を見て、にっこり笑った。
「朝来たらあっちの部屋に毛布1枚にくるまった隊員達が居てさ、何で仮眠室で寝なかったの?
って聞いたら"行ってみれば分かります"
"副隊長なら入っても大丈夫です"っていうからぴーん!ときて」
紫色の瞳が可笑しそうに揺れている。
「あっちの部屋?。。。あ!更衣室?それは申し訳ないことしたな。。。」
「そうだよ!天下無敵の総隊長が眠っている所になんか怖くて誰も入れないよ」
うーん。。。そういうものか?
相当情けない表情(かお)をしてしまったんだろう。
俺の顔を見て清寿はクスクス笑い続けている。
「全く〜!総隊長の自覚無いなぁ〜!」
そしてまた、資料に視線を戻した。
じいっと清寿の横顔を睨みつける。
笑われっぱなしじゃ悔しいけれど、反論の余地ナシ。
沈黙。
時々ページを捲る、紙の音だけがする。

――― その唇に触れてみたい。。。
突然、激しい衝動が湧き上がってきた。
あの夜には叶わなかった欲望。
この感じ、何と云えばいいんだろう。あれて云うなら"ムラムラ"?
なんか俺、オカシイぞ。。。

「ねぇ笑太君」
資料を見たまま、不意に清寿が俺の名を呼んだ。

それが、トリガー、だった。

びくん!
身体に電流が走ったような感覚。
「このターゲット、手強そ。。。」
「清寿」
急に言葉を遮られて、清寿は驚いたように顔を上げてこちらを見た。
その瞬間が唯一の"スキ"だった。
片腕で上半身を少し起こし、もう片方の手で清寿の頬を包んで引き寄せ、唇を重ねた。
柔らかい唇を舌でこじ開けて、中に侵入する。
清寿は抵抗もせず、俺の舌を受け入れた。
最初は硬く緊張していた全身の筋肉が、ゆっくりと弛められていく。。。

肩を軽く押されて、我に返る。
離れる刹那、清寿の髪が香った。
これ、髪の香りだったんだ。。。
 
ほんのすこしの気まずい間(ま)。

「どうしたの?」
ちょっと困ったような悲しそうな表情(かお)。
時々見せるこの表情に弱い。
「んー。。。なんとなく?」
すご〜く苦しい言い訳。
「"なんとなく"にしてはディープだったね」
にこ。
大したことじゃない、というような笑顔。
「疲れてるんでしょ?笑太君」
唇が、美しい弧を描く。

――― あぁ。。。俺の負けだ。
良く分からないが、なんとなく、そう思った。

清寿は今度は床に散らばってしまった資料を拾い集めてまとめ、それを片手に持って
立ち上がり、
反対側の手で制服の腰や裾の辺りをぱんぱん!と払いながら云った。
「まだ始業まで時間あるし、シャワー浴びてきたら?髪ボサボサだよ?」
ふぅ。。。と身体を起こす。
云われた通りにシャワーを浴びて、タマに電話をしてこよう。
ぼんやりしている俺の顔を覗き込んで、清寿が笑う。
何がそんなに可笑しいんだ?
「笑太君、一つだけ云ってもいい?」
「ん?」
「今ね、咄嗟にワイヤー使っちゃいそうだった。マジで危なかったよ。
  次は気をつけてね」
 
――― 完敗じゃないか、俺。。。
って云うか、命拾いした?
顔は笑顔、やんわりとした口調だけど、結構マジそうなのがヤバい。
背中に冷や汗が流れた。

軽い眩暈を感じながら、ソファからゆっくり立ち上がる。
清寿はぐちゃぐちゃになった俺の服を引っ張って伸ばしたり、埃を叩いたりしている。
まったく笑太君はぁ。。なんて云いながら。
本当に全く、何事もなかったかのように。。。
ふわ。
鼻先に清寿の頭が近付いてきて、またあの香りがした。
「。。。ごめん」
思わず口を出たのは謝罪の言葉。
「何か謝るようなコト、した?」
試すような微笑みに、返す言葉を失う。


「あの。。。」
カチャリ。
待機室のドアが細く開けられ、羽沙希の顔が半分覗いた。
「おはようございます」
「おう」
「おはよ!羽沙希君」
深呼吸1回。
落ち着け!御子柴笑太。
そう自分に云い聞かせる。
羽沙希はそれ以上入って来ようとせず、ドアを壁の間に挟まったままもじもじしている。
「ん?なんだ?」
内心穏やかじゃないがそれを押し隠し、極力いつも通りに対応する。
「三上部長からの呼び出しなんですけど。。。御子柴隊長が電話に出ないから呼んで来いって。。。」
云い淀むようにもそもそと羽沙希が言った。
いつもより妙に歯切れが悪い。

――― あ、今の、見られたな。。。

慌ててテーブルの上の物を掻き分けてケータイを探し出し、着信をチェックする。
しまった!3回も入ってる。。。
「すぐ来いって?」
清寿がいつも通りのにこやかな顔で羽沙希に尋ねている。
きっと清寿も見られてしまった事に気付いたハズなのに、そのままスルー出来るのか?
食えない奴!
いや、そもそもコイツはこういう奴だった。。。

「いえ。五十嵐課長に全員そろってからで良い、と云われました」
その返事を確認して、清寿が俺の背中をぐいぐい押してきた。
「じゃ、笑太君。急いでシャワー浴びて着替えてきて!
その間にここ片付けておくから」
どんどんシャワー室にも向かって押しやられる。
「分かった!分かったから!押すな清寿!!」
これじゃまるで世話女房じゃないか!
先刻までの感情の昂ぶりがウソのように引いていく。
パタン。
後ろでシャワー室のドアが閉じられた。
ふぅ。
とりあえずシャワーでも浴びて、いつもの自分を取り戻すとするか。。。




#2

朝、出勤してきたら、更衣室の中央に置かれたベンチの上で毛布に包まった隊員が
2人眠っていた。
「こんな所でどうしたの?仮眠室で寝ればいいのに」
特刑上部隊員の更衣室は別室にあるんだけど、通りがかりに見掛けて気になったので
声を掛け
てみた。
「あ。。!副隊長!」
その隊員達は大袈裟じゃなく、本当に10cm程飛び上がって起きた。
「冬じゃないとはいえ、風邪ひくよ?」
2人は顔を真っ赤にしてこちらに敬礼した後、顔を見合わせて云い出しづらそうに互い
の横腹を
突いたりしている。
「?」
首を傾げてじーっと見ていたら、その視線に気付いて1人がこう云った。
「待機室に行ってみてください。お願いします!」
「待機室?待機室に誰か居るの?」
仮眠室は待機室の奥にあり、そこを通り抜けないと入れない構造になっている。
2人は困ったようにまた顔を見合わせ、交互にこう答えた。
「行ってみれば分かります」
「式部副隊長なら入れます。けど俺らには無理です〜」
何故、半泣き?(笑)
でも、ぴーん!ときた。
「ごめんね。君達今日非番じゃないんだよね?じゃシャワーくらいは浴びたいもんね。
あっち片付けたら呼びに来るから待ってて」
2人はもう一度敬礼して、声を揃えて「はいっ!」と返事をした。


ガチャ。
待機室に入ると、一番手前にあるソファでどーんと笑太君が眠っていた。
しかも爆睡。
これだけ深く眠っていたら誰が入ってきても気付かなさそうだけど、一般の隊員にして
みれば、こんな所に眠られていたら怖くて入れない。
その心理、よく分かる気がする。

「笑太君、笑太君」
少し揺すったくらいじゃ、びくともしない。
不眠症の僕から見れば羨ましい。
何度目かの呼びかけで、やっと薄目が開いた。
「笑太君、おはよう!」
またすぐ閉じそうになる。
「笑太く〜ん!」
中腰になり顔を覗き込んでいたら、急に髪が引っ張られた。
「あれ?髪、伸びてね?」
気付くの早っ!
「エクステだよ。似合う?」

――― 誘ったつもりは無かったんだけど、この先意外な展開になってしまった。
少し油断してたかな?


「笑太君、相当疲れてるんだね。。。」
シャワー室のドアに向かって独り言のように呟いてから、振り返る。
にこ。
何となくぎこちない態度の羽沙希君に笑いかけてから、色んなモノが散らかったテーブルや
ソファの上、その周りを2人で片付ける。
大体片付いたところで声をかける。
「羽沙希君。笑太君がシャワーから出てきたらハッパかけて更衣室に連れてってね。早く行かないと
三上部長に怒られちゃうから」
いつも通りの無表情だけど、いつもより反応鈍めの羽沙希君。
その反応が初々しくて、笑ってしまいそうなのを耐える。
「式部隊長はどこ行くんですか?」
「更衣室。隊員達を待たせてるんだ。それに僕も"白"に着替えてくる」
極上の笑顔で答えて、待機室のドアを閉める。


先刻のを羽沙希君に見られてしまったのは間違いないけれど、仕掛けたのは笑太君の
方なんだし、フォローなんてしてあげないよ!
キスの代償にこのくらいのイジワルは許されるよね?
怒るよりもなんだか可笑しくて仕方なくて、自然に笑みが漏れてしまった。




#3

更衣室で制服に着替えようとしていたら、ケータイに着信があった。
五十嵐課長からで、三上部長が第一部隊を呼んでいると云う。
「先刻から携帯にコールしているんだけど、総隊長が出ないんだよ。
多分仮眠室に泊まったと思うから連れてきて欲しいんだけど。
頼んで良い?」
はい。
と、返事して電話を切り、白い制服に着替えて仮眠室に向かった。
廊下を歩いていたら、突然声を掛けられた。
「藤堂!藤堂!」
声がした方を振り返ると、更衣室から知らない人達が呼んでいた。
制服を着ているから特刑の隊員には違いないが。
第一部隊に配属されたおかげで、幸か不幸かすっかり特刑関係者全員に名前を知られ
てしまった。
「はい?」
「どこ行く?待機室か?」
頷く。
と、その人達はほーっと溜息をついてから、両手を合わせて拝むような仕草をして云った。
「ちょっと中の様子見て来てくれないか?副隊長に待ってて、と云われたんだけど、なかなか
戻ってこなくて」
了解の意を示し、待機室へ急ぐ。
何してるんだろう?
待機室に着くと、ドアが少し開いていた。
式部副隊長が入った時にちゃんと閉めなかったのだろうか?
声を掛けようとして、ふと中の様子を覗いたら。。。

――― 頭の中真っ白、ってこんな感じなんだ。。。と初めて知った。
御子柴隊長と式部隊長のキスシーン。。。
声を掛けるタイミングを逸してしまった。

御子柴隊長をシャワー室に押し込んで、式部隊長は僕に微笑んでみせた。
直視出来ず、軽く目を逸らす。 
この行動は自分らしくない。でも動揺が隠せない。
これじゃ2人には僕が覗き見してしまった事なんてバレバレだろう。。。
「羽沙希君。笑太君がシャワーから出てきたらハッパかけて更衣室に連れてってね。早く行かないと
三上部長に怒られちゃう」
それに僕も着替えてくるよ。。。そう云って式部隊長はドアの向こうに消えた。
ほっ。
安堵の溜息が漏れた。
朝から上司2人、しかも同じ部隊のメンバー2人のキスシーンなんて強烈すぎる。
胸に手を当てて深呼吸をしていたら、御子柴隊長がシャワー室から出てきた。
とくん。
折角落ち着いた鼓動がまた少し早くなる。
「あれ?清寿は?」
タオルで髪をくしゃくしゃと拭きながら、御子柴隊長が云った。
「着替えてくるって云ってました。御子柴隊長も早く着替えてきてください」
「ハイハイ」
テキトーな感じで返事をしながら更衣室へ向かうその背中を追いかける。
「お目付け役を仰せつかったのか?」
御子柴が振り返って揶揄かうように聞いてきた。
「はい」
そうか、と笑って、前を向いてしまった。


なんだか今日は調子が狂った。
ミスしないように注意しないと。。。




#4

「ソウタイチョ、餓えてんの?」
にひひ。
柏原は笑いながら上半身を捻って振り返り、後ろに立つ俺を見ながら云った。
「確かにあの"環境"じゃ女の子も連れ込めないしね」
あー全くどいつもこいつも!
「うっさいな。覗き見してんじゃねぇよ」
お〜コワ!と呟いて肩を竦め、柏原はPCのディスプレィに視線を戻した。
「だって五十嵐課長が、何度コールしても総隊長が電話に出なくて困ったって云うからさー。
緊急連絡だとか云うし。仮眠室に泊まったの知ってたから、ちょっと"目の部屋"で覗いてみたら。。。さ」
そりゃそうだ。
本部の各部屋の様子だって目の部屋で全部監視されているんだった。
「でも分かる気はするんだよね。副隊長、特刑一の美人だから」
エクステ似合うよね〜!そんな事を云いつつも、柏原の指はキーボードの上を動き回り、
目をディスプレイから離さない。
「ちなみに総隊長も特刑一のイケメンって云われてるし、藤堂ファンも多いんだケドね」
柏原は可笑しくて堪らないという口調で付け加えた。 
余計なお世話だ。
今朝のアレで俺のプライドはちょっと傷ついてるんだからな。
「でも天下の総隊長も副隊長には勝てないね」
うるさいっ!
「そんな事より潜伏先は特定できたのか?」
「う〜む。。それなんだけど。。。」
柏原の説明によると、今日のターゲットの潜伏先の候補は数ヶ所あって、現在羽沙希が
捜査の為に向かっている第三セクター某所と清寿が向かっている元住居以外のどこかに或る
ハズだと云う。
「でもどこにも最近現れてないみたいなんだよね〜」
「。。。そいつ生きてるんだよな?」
「多分」
無責任だなぁ!俺達の命はお前達の情報の精度にかかってんのに。
「羽沙希の行ったところは最初の殺人をした後の潜伏先?」
「そう」柏原は答えた。
「そこで1ヶ月前に目撃されてから以後、足取りが掴めていないんだよ」
「1ヶ月前〜?それって最後の犯行の前?」
「そうそう。それまで一定のインターバルを置いてコンスタントに事件を起こしていたのに、それ以降は
対象も日付もランダムになったんだ。
だから最近まで同一犯の犯行とは思われてなかったんだよね」
ん?。。。何かが引っ掛かる。
「最後の事件って、あの大量虐殺事件?」
「そう。雑居ビルの一室にある闇薬局で、そこに居合わせた全員滅多斬りして内臓を引きずり出して
部屋中にバラまいて。。。ってヤツ」
オエッ。
柏原は本気で気持ち悪そうな表情(かお)をした。
「それ、他とは手口が違うんだよな。。」
「まぁコイツは殺人マニアらしくて全部違う方法で殺しているんだけど、それまでは1回のコロシに
被害者1人だったから。それに複数の男女を無差別に、ってのはこの時が初めて。ちょっと間空いてるし」
なんだろう。。。?この疼くような予感は。
「五十嵐課長は"しばらく殺ってなかったんでまとめて殺してみたくなったんじゃないか?"と云ってたケド」
心底イヤそうな表情で柏原は情報を追っている。
「これ、同一犯なのかな?」
次々と映し出される情報を見ながら、御子柴はボソッと呟いた。
「指紋と物証が出た」
そっか。。。でもなんだかスッキリしない。
そこに羽沙希から無線で連絡が入った。
こちらには古い血痕以外は全く何も残っていません。血痕は相当な量で、乾燥してしまって
いるのでサンプル採取は不可能です。。。との事。
「羽沙希の行ってる所と住居は近かったんだよな?」
「近いと云えば近いかな。あそこら辺は低所得層の住居が多いから隣人に興味無いし、捜査協力も
してくれないし面倒なんだよね〜」
ぷーっ!と不満そうに頬を膨らませて云った柏原が、俺が動いた気配を感じて振り返る。
「あれ??どこ行くの?総隊長」
「清寿が行った所。なんだかすげー悪い予感がする!」
気のせいでありますように!
でも俺の勘が叫んでいる。
朝から降っていた雨は強さを増していて、痛いくらいに全身に叩きつけてきた。
その中をひたすら急ぐ。
間に合え!無事でいてくれ、清寿!!


薄暗く、埃っぽいような酸っぱいような臭いが籠もったその部屋は、ひっそりと静まり返っていた。
ペンライトを点けて、中に踏み込む。
奥に進むにつれて、空気の臭いが変わった。
独特の。。。錆びた鉄っぽい臭いが鼻をツく。
この仕事に就いてから嗅ぎ慣れた、何度嗅いでもイヤなこの臭い。。。
その臭いが一番強く漂ってくる部屋の前に着いた。
ぱしゃ。
ドアを開けて1歩進むと足元で水っぽい音がした。
バッ!と反射的にライトを床に向ける。
小さな光の輪に照らし出された床には血溜まりがあり、その近くに一筋の髪の毛が落ちていた。
拾い上げると、ふわ、と、血のニオイに混じって嗅ぎ慣れた香りがした。
これは間違いなく清寿の髪の毛だ。
ほぼ根本からスパッと斬られたエクステには、本物の髪が何本か絡まっていた。
床の血液からサンプルを取って照合するとB型。
そして間違いなく清寿の血液であった。
一気に激しい怒りが湧き上がり、目の奥で爆発が起こったように激しく光が明滅した。
「清寿っ!!」
予想通り返事は無い。
俺の声は虚ろに響いて消えただけだった。
落ち着け!感情に飲まれるな。
まず柏原に連絡して早急に潜伏先を探し出して貰わねばならない。
それに羽沙希にも連絡して。。。
思いついた事を端から片付けていった。



「多分そこに居ると思うけど、総隊長の勘が当たってないとは限らないから気を付けて」
無線の向こうで柏原が云った。
羽沙希は俺の顔を見上げている。
表情が無いから感情は読み辛いが、心配なのには違いない。
「大丈夫だ」
そう云ってみせても、冷静さを失っているのは隠せない。
ぎゅ。
ポケットの中に入れておいた清寿の髪を握り締める。
脳裏にフラッシュバックのように、あの時の"あの人"の言葉が浮かんできた。
"俺はお前に死なれるとスゲーやだなって思う。。。だから頑張る"
あの時は恥ずかしい奴、と思っただけだったが、今の俺なら同じ言葉が口に出せる。
清寿の為ならこの命だって賭けられる。
だから俺より先に逝くな、清寿。。。
「まずは清寿の身柄を保護するのが最優先だ。いいか、くれぐれも先に処刑するな」
こくん。
口を真横に引き締めて、羽沙希が頷く。
俺の予感が当たっていれば、相手は性質(たち)の悪い複数犯だ。
人形狩りの可能性が高い、と思う。
「行くぞ!羽沙希」
バッ!と立ち上がる。
慌てて羽沙希も立ち上がり、俺の後ろを追いかけてきた。
一歩一歩、落書きだらけの汚いドアに向かって慎重に歩を進めた。。。

部屋の中央にはイスが置いてあり、ぐったりした清寿が縛られていた。
「清寿!」
「式部隊長!」
背後でぱたん!とドアが閉まる。
闇。
周囲からは複数の人間の荒々しい息遣い。
ドアが閉まる直前、そのうちの一人の姿が見えた。
あれは紛れも無く人形狩りの制服。
斬りかかってくるな、と身構えたその時に、窓ガラスが割れてカーテンの下から光の塊が
ごろごろと転がって入ってきた。
投光器が投げ込まれてきたのだ。
姿が見えればこっちのモノ。
人形狩りの一人から刀を奪い抗戦している間に、羽沙希が清寿に近付いてゆく。
もう少しで救出出来そうになったところで、俺がちょっと目を離したスキに羽沙希は3人に
囲まれてしまっていた。
「羽沙希っ!」
何をしている?!
2人に斬りかかる人影の中に夢中で駆け込む。
左肩に激痛。斬られたらしい。
その血を見て羽沙希の顔色が変わった。完全にキレたらしい。
援護しなきゃと立ち上がろうとすると、横からヒュン!とワイヤーが飛んだ。
その一撃で何人もの身体が崩れ落ちてゆく。
「清寿!ダイジョブか?」
「笑太君こそ!!僕の傷は浅いから心配ないから!」
そうか、良かった。
生きていてくれて、ホントに良かった。。。




#5

そこにはもう人が住んでいた気配は全く無く、ただの廃屋のようだった。
ライトを点けて2〜3歩部屋に入ったところで背中に一太刀。
気配に気付いて身を引いたので軽症で済んだ。
切られて振り返ろうとした一瞬の隙に、首と身体にワイヤーを巻かれてしまった。
油断していたワケではないけれど、相手の人数が多すぎて抵抗も虚しく
背中の傷はそれ自体は浅そうなのに、出血が多かった。
ゆっくりと床の上に血溜りが出来ていく。
僕が連絡もせず、時間になっても戻らなければ、きっと笑太君はあの部屋へ僕を探し
に行く。
そして僕の血を見付けてしまうんだろう。。。
"来ちゃダメだ、笑太君。これは人形狩りの罠だ"
無駄だと知りつつも、心の中で念じてみる。
これが通じるんだったら何の苦労もしないのに。
それに笑太君のことだから、これが罠だと勘づいても、きっと助けに来るんだろう。
なんだかぼーっとしてきた。。。
かなり失血したせいだ。
あいつらはかなり綿密に僕らの事を研究しているようで、身体を縛る時に強化ワイヤーを
使った。これはいくら僕のワイヤーでも切ることが出来ない。
しゅっ!
髪を一筋斬られた。エクステだって安くないんだぞ!簡単に切るな。
それをわざとらしくその場に落とす。
「移動するぞ」
リーダー格の男が云うと、他の男達に大きな段ボール箱に押し込まれた。
手足や腹部をぎゅ〜っと曲げた姿勢を取らされ、背部の傷の痛みが全身に広がり気が
遠くなる。
"来ちゃダメだ、笑太君。。。"
僕は眠ることを恐れてはいない。むしろ欲しているんだから。。。
唐突に、今朝の事を思い出した。
あの時の唇の感触。唇を介して伝わってきた体温。
びっくりしたけれど、ホントはちょっと嬉しかったかも、なんて。
あれ?血が出すぎてオカシクなってきちゃったかな。。。

そして僕は意識を手放した。


気付いたのは、ガラスの割れる激しい音と、続いて放たれた強い光のおかげだった。
目隠しをされていても、気配で周囲が乱闘中なのは分かる。
ふっ。
後ろで縛られた手元に誰かの手が触れてきて、一瞬びくっ!とする。
「式部隊長、気が付かれてますか?」
囁くような羽沙希君の声。ワイヤーがほどけず手間取っている様だ。
「羽沙希君。目、取って」
羽沙希君はワイヤーから手を離し、僕の目隠しを下げた。
それが油断(スキ)になってしまった。
「羽沙希っ!」
こちらに向かって一斉に振り下ろされてきた刃の中に、叫び声と一緒に笑太君が走り込
んできた。
無謀すぎる!!
こちらが肩を竦めた次の瞬間、そのうちの一迅がその左肩に食い込んだ。
血飛沫が僕の視界全体を一瞬真紅に染め上げ、笑太君の身体がこちらにぐらっと倒れ
かかる。
外れた一閃が僕の身体を縛っていたワイヤーの一部を断ち切った。
「う。。。うわーっ!」
羽沙希君がキレて、吼えながらヤツラに向かっていった。
僕も笑太君を庇いながら応戦する。
「清寿!ダイジョブか?」
「僕は大丈夫!笑太君こそ大丈夫っ!?」
そうか、良かった。。。
そう声にならない声で呟いて、笑太君は気を失った。
ここで僕も完全にキレた。
誰一人として許さない!逃げることも、生きることも。。。!




#6 

「笑太君!笑太君!!」
何度目かの式部の呼び声に、御子柴はぼんやり目を開けた。
そして左肩をぐっと窄めてイタタタタ。。。と呟き、止血の為に傷口を押さえている式部の
手を払おうとしたが力が入らず空振った。
「救護班何してんの!?早くっ!!」
式部はいつもの冷静さを失って、まだ現れぬ救護班に向かって怒鳴っていた。
その横で、藤堂は茫然自失状態に陥っていた。
ふっ。
御子柴が微笑んだ。
皆の無事を確認して、安堵したような安らかな笑み。
その青い瞳がゆっくりと閉じてゆく。
「笑太君!しっかり!」
「御子柴隊長!!」
呼び掛けてももうその目は開かなかった。
その頃やっと救護班が担架を持ってやってきた。
「遅すぎるよっ!早く!!」
救急車に一緒に乗り込みながら、式部は藤堂に向かって叫んだ。
「後で連絡するからね!ちゃんとシャワー浴びて着替えておくんだよ」
藤堂の返事を確認する間も無く、車は発進してしまった。

弱々しい呼吸。酸素マスクをかけられた血の気の無い顔。
「死なないで。。。死なないで笑太君!」
式部は病院に着くまで御子柴の傷を押さえていた。
元々血塗れだった手に御子柴の血が付いて、更に真っ赤に染まってゆく。
なかなか止まらない出血にイラ立ちを覚えながら、止血し続けていた。
御子柴の姿が救急治療室に入って見えなくなってからも、式部はそのままの姿で、廊下で
ずっと祈っていた。
背中の傷を手当てしましょう、と声を掛けられても首を横に振って。
数時間後、命に別状ありませんよ、と聞かされるまで。


現場に一人残された藤堂は、そのまましばらく固まったようにそこに立っていた。
雨に激しく打たれたまま、救急車が去った後を呆然と見詰めていた。
見るに見兼ねた柏原に肩を叩かれ、我に返るまで。
御子柴が運び込まれた病院は、彼が毎日通っているあの病院だという。
柏原の言葉はふわふわと実感が無く、空間を漂って聞こえてきた。
諜報課の車で本部まで送ってもらい、のろのろと着替えていたら式部から電話が入った。
「笑太君、大丈夫だって」
――― 僕は許されるだろうか。
無口になった藤堂に、電話の向こうの式部は云った。
「大丈夫だからね、羽沙希君。自分を責めちゃダメだよ」
――― 伊緒李、僕は許されるんだろうか?


「そうか、弟さんが入院しているの、この病院なんだね」
シャワーを浴びて背中の傷の手当てを受け、着替えてきた式部からは、すっかり血の匂い
が消えていた。
こくん。
頷く。言葉を発すると呼吸(いき)が出来なくなってしまいそうだ。
それでなくとも胸が苦しくて、今にも過換気発作を起こしそうになっているのに。
「ぼ。。。僕は」
小さな声しか出なかった。
何?と、式部が耳を藤堂の口元に近付ける。
「。。。僕は許して貰えると思いますか?」
目を見開いて、式部は藤堂の顔を見た。
無表情な藤堂の瞳は、人形のガラス製の目のように空ろだった。
「許すって?」
そう聞き返してから、ああ!と意味が分かったようだ。
「大丈夫!笑太君は羽沙希君や僕が無事だったというだけで満足なハズだから」
式部は藤堂を労わるような笑顔を浮かべて云った。
藤堂からの反応は無かった。
全ての情動を閉ざしてしまった藤堂を見て、式部は心の中で祈った。
"早く目覚めて笑太君。そして羽沙希君を救ってあげて!"
御子柴が欠けている間、第一の任務遂行記録は2人で守っていかなければならない。
でも頑張っていくには、今の藤堂は痛々しすぎる。。。
式部は藤堂の収まりの悪そうな髪をクシャッと撫でた。
「僕達も強くならなきゃね。。。」
藤堂の頭を引き寄せて抱きしめ、式部は独り言のように呟いた。
されるがままに髪を撫でられながら、藤堂は自分の身体の震えを抑えられずにいた。

         
               − To be continued −






 P.S.
          これが全ての始まり。
              ここからどんどん広がって。。
                      もう充分長いですが、まだまだ続きます(汗
                       #4の御子柴と柏原のやりとりがお気に入り。


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