― non compos mentis ―


この肩にまだ最期の呼吸(いき)の感触が残っている。
この耳にまだ乾いた発砲音が残っている。
この手にも、まだ、徐々に冷たくなっていく君の身体
の重みが、残っている。。。


芝生の上に寝転んでいた藤澤が、ごろんと大きく寝
返りを打って、横に座る藤堂の方を向いた。
制服のブレザーの裾に指を掛けられてくいくいっと引っ
張られて、藤堂が目を上げる。
「何読んでんの?」
表情豊かな大きな瞳がじっと見詰めている。
藤堂はきょとんとした表情(かお)をして、読んでいた
本を腿の上に立てて背表紙を見せた。
「ん?刑法概論か!。。。お前、真面目だよなぁ」
仰向けに戻り、ふわぁ〜!と伸び上がるように大きな
あくびをして、藤澤はまた目を閉じた。
教科書から藤澤へと視線を移し、藤堂はぼんやりと
友の顔を見詰めた。
長い睫毛が、頬に影を落としている。
血の色の唇がつやつやとしていて、少しクセのある
黒髪が肌の滑らかさを際立たせている。
藤堂はどうとも感じないが、綺麗な顔、なんだそうだ。
「君はスゴいね」
はぁ?という表情で目を開けた藤澤が、瞳だけを横
に動かして藤堂を見た。
「全然努力しているように見えないのに学科も実技
も成績が良くて」
藤堂が大真面目な顔をしていたので可笑しくなって、
クククッ、と、藤澤は全身を細かく震わせて笑った。
「頑張ってるように見えないように努力してるんだよ」
その答えの真意を量りかねて、藤堂は首を傾げた。
「そうすることに意味があるの?」
藤澤は笑うのを止めて、大きく目を瞠って、不思議
そうな表情をしている藤堂を見詰めた。
「羽沙希、お前ってさ、いっつも無表情、無反応で
何考えてるか分からないって思ってたんだけど、付き
合ってみたらそうでもないんだな」
藤堂の首が肩に付きそうになるほど傾けられる。
「いかにも頑張ってマス!っていうの、カッコ悪いだろ?
俺さ、何でも見た目から入る方だからさ。カッコ悪い
のヤなんだよ」
な!と同意を求めるように藤澤が笑ったが、藤堂に
は到底理解出来ない理由だったので、どう返したら
いいのか分からなかった。
「でも君は本当に頭がいいし、強いじゃない」
ははっ!と、全身で跳ねるように藤澤が笑った。
「だからさ、努力してないのにスゴい、ってのがカッコ
いいんだって!」
まん丸になっているグリーンの瞳に映っている自分の
顔を見て、藤澤は肩を竦めて溜め息をついた。
「お前さえ居なきゃ万年主席で卒業して、今欠員
が出てるらしい第一部隊に入って活躍して。。。」
瞼を閉じた顔に、ふわりと微かな笑みが漂う。
「何部屋かある大きなうちを借りて妹を引き取って、
いい暮らしをさせてやれるのにな。。。」
がばっ!と跳ね起きた藤澤が突然顔を突き付けて
きて、藤堂は咄嗟に避けることが出来なかった。
自分の顔のものすごく近くに藤澤の顔があって、息
がかかるほどの距離に、戸惑う。
身内以外の誰かに、こんなに近くから見られたのな
んて初めてだった。
「羽沙希、少しは手ぇ抜けよ!」
これ以上は開けないというくらい大きく目を見開いて
言葉を失っている藤堂をしばらく睨んでいた藤澤だ
ったが、数分後、堪えきれずに先に噴き出してしま
った。
「あははっ!すっげ、顔、マヌケ〜!」
腹を抱えて大笑いする藤澤につられて、藤堂も笑
ってしまった。
「そ〜だ。笑え、羽沙希!人生半分損してるぞ」
「笑わないから?」
「バッカ、違うって。勉強よりももっと大事なモンがあ
るだろ?って話だよ」
散々笑って、どちらかから、ふぅ、と、浅い息が吐き
出され、静かになった。
特刑養成所の中庭を吹き抜ける風が、2人の頭上
の木の枝をさわさわと揺らす音だけが聴こえる。
日差しの暖かな、春みたいな日だった。
「俺さ、お前が俺のことどう思っていようと、お前のこと
本当の友達だと思ってる」
真面目な顔で云った後、藤澤は目を細めて続けた。
「例えお前が“友達”ってモンが何か分かっていなくて
も、俺にとっては大切な友、なんだよ」
藤堂の明るい色の瞳が、微笑んだ。
「ほんの少しだけど、僕にも分かってきたよ」
今度は藤澤の方が目を見開いて、藤堂を見た。
「こうやって笑い合えるモンなんだって。違う?」
藤澤の深い色の瞳が、温かく微笑み返す。
「そう。あと、お互いが大変な時に助け合える」
くるり、と体勢を変えて背中合わせになると、藤澤は
藤堂に寄りかかった。
「お前に何かあったら俺が助けてやる。だから俺に何
かあったら助けてくれ。お前強いから。。。」
藤堂の左肩に藤澤の頭が乗って、柔らかい毛先が
ふわふわと頬を撫でてくる。
「な、約束」
藤堂は静かに目を閉じて、深く頷いた。
その動きを肩越しに感じながら、藤澤も目を閉じた。
すぅ。。。
「。。。藤澤!?」
名を呼ばれて、藤澤が薄く目を開けた。
「昨日さ、遅くまで勉強してて眠いんだよ。寝かして」
すぐに瞼が落ちて、寝息が聞こえ出す。
預けられた藤澤の体重を支えようと、藤堂も重心を
後ろに移動させて、均衡を保つ。
本気で眠ってしまった藤澤を見て、信頼感というもの
を実感して、藤堂の頬に笑みが浮かんだ。


平和な時は短くて、鮮明な記憶が僕を苛む。
あの頃に比べると、藤澤は随分痩せていた。
背も髪も伸びて、精悍な感じになっていた。
なのに、僕の膝の上でどんどん冷たくなっていく君は、
とても重かった。。。


「。。。沙希。羽沙希!」
はっ!と藤堂が我に返ると、御子柴と式部、柏原、
五十嵐が見詰めていた。
少し離れた所から感じる視線は三上のものだろう。
「羽沙希、お前、今の聞いてた?」
ふぅ、と鼻から息を吐き出しながら、御子柴が云った。
「。。。すみません」
無表情に目を伏せた藤堂を庇うように式部が前に出
て、御子柴達の視線を遮った。
「まだこの死刑囚の潜伏先見付かってないんでしょ?
なら説明の続きは僕からちゃんと伝えるから。三上部長、
笑太君、お願い!今日は羽沙希君を帰してあげて」
式部の心遣いが、藤堂にはツラかった。
疲れている訳ではない。
でも、会議に集中出来ないのは事実で、藤堂は俯い
たまま、顔が上げられずにいた。
はぁぁ。。。と、誰かが太い息を吐くのが聞こえた。
「もう時間外だ。許可する」
三上の低い声が響いた。
式部が藤堂の背にそっと手を当てて、退室を促す。
その場に居る全員に深々と一礼して、藤堂はドアの方
へ歩き出した。
「ひとりで帰れる?」
歩み寄ってきた式部が、心配そうに尋ねる。
「。。。はい。大丈夫です。すみません」
式部の顔を見ることも出来ずに、白い制服の手前で
ブルーブラックの髪の先が揺れているのを見ながらそう
答えて、部長室を後にした。

藤堂は更衣室に戻り、カーキの制服を取り出して握り
締め、腹から膝辺りに散る藤澤の血痕に顔を寄せて、
声を殺して泣いた。
ふわっ。
頭の上からすっぽりと何か被されて、全身が強張る。
誰かが近付いてきている気配すら感じなかった!と息
を詰めた藤堂も、次の瞬間にはほっと力を抜いた。
「ちゃんと泣いとけ。そうしないと誰かさんみたいになるぞ」
優しい声音でそう云いながら、御子柴は藤堂の頭を布
越しにぽんぽんと叩いた。
「誰かさんって誰?もしかして。。。僕のこと??」
問い詰めるような式部の声がして、イテテ!と御子柴が
呻く。
「どこぞの副隊長みたいに普段感情を抑えてると何かあ
った時に暴走しちまうぞ。。。なんてまだ云ってねぇだろ。
叩くなって」
「云ってるじゃない!」
顔を出して覗いた藤堂に、御子柴はにやりと、式部は
ふわりと、笑い掛けた。
泣き顔を隠すように頭から被せてくれたのは御子柴が
脱いだ制服の上着で、まだ温もりが残っていた。
「僕達も会議放棄してきちゃった」
式部が片目を瞑ってみせる。
「だから羽沙希君、一緒に帰ろ」
藤堂の目から涙が溢れて流れ落ちる。
両頬に式部の手の感触、頭上に御子柴の手の重みを
感じながら、藤堂はしばらくの間声を上げて泣き続けた。


―The end―






P.S.
彰梨様に捧ぐ。。
5000HIT記念リクエスト
“奏羽沙でほのぼの”にお応えして。。
“黒い男編”のラスト、奏澄が自殺した後で。。
という設定で書いたので、
ほのぼのじゃなくなってしまいました(-"-;;
唯一ほのぼのな回想部分は
本編#20(4巻収録)の扉絵のイメージで。
あ、あとタイトルは
「心身喪失」という法律用語です。
英和辞典引いても出てないかも(汗
こんなんで。。いかがでしょう?


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